シンポジウム・デバ

社会の中の科学 (科学シンポジウム)

講師 佐藤文隆(京都大学名誉教授)、中田 力(カリフォルニア大学名誉教授)、中谷英明(関西外国語大学)、加藤尚武(京都大学名誉教授) 司会 池田忠生(日仏会館)

“イベント詳細”

2017-12-02(土) 13:00 - 18:00
会場
日仏会館ホール
東京都渋谷区恵比寿3-9-25 渋谷区, 東京都 150-0013 Japan
日仏会館ホール
定員 130
参加費 無料
懇親会 有 (無料)
事前登録
言語 日本語
主催 (公財)日仏会館
共催 日仏関連学会理系8学会
このイベントの参加登録は受付を終了いたしました。
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私たちは急速に発展する科学技術の恩恵を受けていますが、しかし、地球環境・エネルギー問題、生命科学等の分野では,科学技術は倫理観や価値観にかかわる新たな課題を投げ掛けています。こうした問題に対して,科学者自身、人間尊重の価値観に基づく意識改革が必要と考え、人文科学系の先生を交えたシンポジウムを開催します。

 

 

 

プログラム:

司会・進行 池田忠生(日仏会館学術委員)

 

「科学と人間  ─メートル法200年の歩みにみる─」   

佐藤文隆(物理学者、京都大学名誉教授)

 

「インド思想の現代世界への貢献―未来社会のアイデンティティとしての「自省的利他」―」    

中谷英明(宗教学者、関西外語大学教授、東京外国語大学名誉教授、日仏東洋学会会長)

 

「医の変曲点」

中田 力(医師、脳科学者、カリフォルニア大学・名誉教授)

 

「科学の社会的機能」    

加藤尚武(哲学者、倫理学者、京都大学名誉教授)

 

総合討論

 

懇親会

 

 

「科学と人間  メートル法200年の歩みにみる

フランス革命の普遍主義を体現したメートル法は、来年2018年一つの転機をむかえる。パリの本部にある長さや重さの基準となる原器がその役目を終えるのである。実はメール原器は既に役目を終えていたが、今度は残りのキログラム原器も役目を終えるのである。人工物の原器は測定技術の長足の進歩によって「基準」としての役目を維持できなくなり、光速度、電子の電荷、原子の振動などの自然物に「基準」を移しているのである。

 

この機会に、メートル法200年の歩みのから「科学と人間」の大づかみな変遷を考察することは有意義であろう。特に、それまで独自の「文化」であった尺度の「普遍化」を掲げた理念が、その推進役であった科学の進展を通じて、その後の人類の歴史にもたらした明暗をみる。

 

 

佐藤文隆

1938年生まれ、京都大学理学部卒業、一般相対論、宇宙物理学などの理論物理学を専攻、京都大学教授、甲南大学教授、日本物理学会会長、湯川記念財団理事長などを歴任。「歴史のなかの科学」、「科学と人間」(青土社)、「職業としての科学」(岩波新書)、「科学と幸福」(岩波現代文庫)、「佐藤文隆先生の量子論」(講談社ブルーバックス)などの一般書多数。

 

 

 

「インド思想の現代世界への貢献―未来社会のアイデンティティとしての「自省的利他」」

近年、ブッダ自身が残したと推定される詩節が特定された。それがパーリ聖典『スッタニパータ』の「八頌品」である。八頌品のブッダの思想は、出家者である弟子たちに孤独な遊行の「無所有」の生活と不断の「自省」を説くが、在家者に語った言葉は一言もない。しかしそれは、古代インドの思惟原則に則って、次のように補定し得る。出家も在家も不断の自省によって自覚し難い利己心の払拭に努めつつ、利他(他人の幸福の創造)に専念すべきである。利他とは、出家が無所有を生きて自ら究極の利他的人格を具現し人々に示すこと、また在家が、財、共同体所属、権力等を「所有」し、その所有によって他人の幸福を創造することである、と。このブッダの「自省的・創造的利他」の思想の現代的意味を考えてみたい。

 

 

中谷英明 

京都大学文学部卒。京都大学修士(仏教学)、パリ大学Ph.D.(インド学)。ストラスブール大学併任教授、文部省統計数理研究所客員教授、Maison des Sciences de l’HommeMSH, パリ)招聘教授、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所(AA研)教授等を経て現在関西外国語大学教授。日仏東洋学会会長。科研費「パーリ仏典データベース作成」('90-'95, 40人)、特定領域研究「古典学の再構築」(1997-2003, 200人)、AA研・MSH共同研究プロジェクト「総合人間学」(2004-2011, 70人)等の共同研究を主宰した。総合人間学の成果はMSHから出版:Social Science Information, Vol.50(1), Paris, 2011。著書『スバシ写本の研究』1988人文書院、他。

 

 

 

「医の変曲点」

「医」は人類の誕生とともに生まれた。経験則から創り上げられた「医」は、東西を問わず、何千年という年月を人々と共に歩んで来ている。その「医」が「医学」と呼ばれるようになったのは二十世紀に入ってからである。出発点は、Linus Paulingによるsp3混合軌道の記載である。近代医学と呼ばれる学問は、量子理論が誕生する以前には存在しなかったのである。西洋医学も東洋医学も、それ以前はすべて経験則からなる「医」であった。そして、すべての科学が飛躍的な進歩を遂げた二十世紀、医学も恐ろしいほどの進歩を遂げる。そんな「医学」が、人々、つまりは、臨床現場から離れ始めたのが1970年代初頭であった。「医」の本来あるべき姿である「医療」と「医学」とが分離を始めた瞬間である。一人歩きを始めた「医学」はやがて「医療」を圧倒する。かつて臨床医の副業であった医学研究は臨床現場から離れ、「研究医」と呼ばれる医師を作った。研究室に主体を移した医学研究は、必然的に医学教育を必要としない方向に流れる。やがて、「医学」の殆どは医学部を出ていない「研究者」の手に委ねられることとなった。「医療」を失った「医学」は哲学を失った科学のように暴走をはじめ、永遠の命を可能だと豪語する悪意に乗せられた衆遇と相まって、地獄への道を懸命に舗装している。

 

 

中田 力

カリフォルニア大学・名誉教授。1950年東京生まれ。1976年東京大学医学部医学科卒。1978年渡米。1992年カリフォルニア大学・脳神経学・教授。1996年新潟大学脳研究所・統合脳機能研究センター・センター長・教授(併任)。2015年新潟大学・特任教授・名誉教授。日本学術会議・会員(21期、22期)。日本語の一般向け著書:脳のなかの水分子(紀伊國屋書店)、穆如清風(日本医事新報社)、日本古代史を科学する(PHP新書)、など。

 

 

「科学の社会的機能」

その最初の事例は、「集散論」である。「存在するとは集まること、無になるとは散らばること」という思想は、おおむね紀元前4世紀、インド、ギリシャ、中国、イスラエルに現れ、アニミズムを否定した。

 

望遠鏡は、天体が霊体ではないことをつげた。顕微鏡は、「肉眼で見えない微小生物」が、1890年代の病原体説の確立をもたらした。感染病の予防と治療が可能になった。

 

大量の需要と供給という時代を作り上げた記念碑は、T型フォード(1908)で、自動車の製造を8000もの工程に分割し、未熟練者や体力の乏しい人にも就労の機会をあたえ、大量生産、大量消費の時代の収支決算は「ローマクラブ報告」(1972)である。資源と環境の限界、国民国家の限界が露呈する。

 

核兵器の発明が、ナショナル・エゴイズムを強化した。力の頂点の間では、武力がものをいう。経済力・資源力・技術力は、無力である。その背後に核兵器がある。

 

インターネットは、世界中の個人があらゆる情報を共有する可能性を作り出した。しかし、情報の相互淘汰が情報の質を高めるという言論の自由の理念は裏切られた。情報の量はかぎりなく増大し、あらゆる国で合意の質が低下している。

 

科学的合理性がおとろえ、非合理性がはびこれば、人類は荒廃する。

 

 

加藤尚武

1937年東京生まれ。1963年東京大学文学部哲学科を卒業、東北大学文学部助教授、千葉大学文学部教授、京都大学文学部教授、鳥取環境大学学長、東京大学医学系研究科特任教授を歴任。京都大学名誉教授、鳥取環境大学名誉学長。

『ヘーゲル哲学の形成と原理』(1980年、哲学奨励山崎賞受賞)、『バイオエシックスとは何か』(1986年)、『哲学の使命』(1992年、和辻哲郎文化賞受賞)以上未来社。『環境倫理学のすすめ』(1991年、丸善、建築協会文化賞受賞)、『現代倫理学入門』(1997年、講談社)ほか。紫綬褒章受賞(2000年)、日本学術会議連携会員。

 


 画像 © Silje Bergum Kinsten/norden.org

 

 

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